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沖縄で着物を高く売る方法は?沖縄県の着物買取店情報

投稿日:2016年7月28日 更新日:

沖縄県にある着物買取店一覧

店舗名住所
Pano舞沖縄県那覇市おもろまち4-17-21

沖縄県が産地の織物・染物

宮古上布(みやこじょうふ)

宮古上布

沖縄県宮古島が産地の麻織物

独特の光沢感があり沖縄という風土にあわせた軽く薄い生地、精緻な絣柄などが特徴です。

元は薩摩藩により「薩摩上布」として江戸に献上され、全国に名が広まりました。

一反織るのに2ヶ月以上かかる上布の最高級品で、 「東の越後、西の宮古」と言われるほど評価が高く、最盛期である大正から昭和初期には麻織物の最優秀品として様々な栄誉も受けており、国の重要無形文化財にも指定されています。

その起源は16世紀に琉球王により特別な役職に任命された稲石刀自(いないしとぅじ)が、感謝の気持ちを込めて宮古上布を完成させ献上したのが始まりだと考えられています。

最盛期には年間1万反を超えていたその生産量も今では非常に少なくなり、現在では年間約10〜20反と非常に希少価値の高い織物となってしまっています。

八重山上布(やえやまじょうふ)

八重山上布

八重山上布沖縄県の八重山諸島が産地の麻織物です。

「白上布」とも呼ばれ、白地をベースに茶色の絣が特徴です。
通気性に優れ、夏の衣料として盛んに着用されていました。

沖縄の他の地方とは違い刷り込み捺染で染められるのは八重山上布のみです。
その他にも海にさらして色止めをする「海晒し」や、杵で布を叩いて光沢や風合いを出す「杵叩き」など、独特の技法が用いられています。

14世紀末にはすでに苧布の記録が残されているため、その起源はかなり古いと言えます。
やがて、琉球王朝時代に人頭税の貢納布として、八重山上布を納めるようになりその技術は発展しました。

薩摩藩に納められた上布は「薩摩上布」として江戸に送られ、名を知られるようになりました。
当時「薩摩上布」と呼ばれていたものは、宮古上布とこの八重山上布であったと言われています。

久米島紬(くめじまつむぎ)

久米島紬

久米島紬沖縄県久米島が産地の織物です。

沖縄特有の絣模様や泥染めによる黒い光沢のある褐色が主ですが、若草色や黄色といったものもあります。

琉球王国以来の伝統を保つ久米島紬の始まりは、堂之比屋という人が中国(明)に渡り、養蚕の技術を学び持ち帰った事が始まりと言われています。

久米島が1500年前半に琉球王国の侵攻を受けて以降、献上物として作られる事が多く、税金の7割は紬として納められているほどでした。

さらに1600年代になると今度は琉球王国が薩摩の侵攻を受け、さらに献上する量の増加を課せられたと言われています。

しかし、1619年には越前より坂元普基を呼び、養蚕や真綿の製法を学び、さらに薩摩からは友寄景友も来島し、織り方と染色の方法を取り入れる事に成功し、飛躍的に発展したと考えられています。

この様にして盛んに作られる様になった久米島紬は、日本本土で「琉球紬」として広く普及しました。

2004年には国の重要無形文化財に指定され、久米島紬保持団体(技の保存と伝承者の養成を行っている団体)が重要無形文化財の保持団体にも認定されました。

ミンサー織(みんさーおり)

ミンサー織り

ミンサー織沖縄県が産地の綿織物です。

竹富島周辺で織られる八重山ミンサーが特に有名で、厚手な地風と市松状に配した四つ玉、五つ玉といわれる絣柄と縞の組み合わせが特徴です。

ミンサーという言葉は「綿(ミン)で織られた幅の狭(サー)い帯」から来たもので、市松状に配した四つ玉、五つ玉といわれる絣柄には、「いつ (五) の世 (四) までも変わらぬ愛を誓う」という意味があります。

男性に求婚された女性が、その返事代わりに幅の狭い織物を自分で織り、贈くるのが風習でムカデの足のような柄は、「足しげくおいでください」という意味があったそうです。

そのため、主に男性用の帯として利用されていました。

その起源は一説によればアフガニスタン〜ネパール・インドで織られていた獣毛を岩料で染めた細幅織物にあると言われており、綿糸と相まってミンサー織が出来たと考えられています。

現在では生産量も減りましたが、パリ・コレクションに出典されたり、皇后美智子様もミンサー織りのバッグを利用するなど一部では人気を誇っています。

琉球絣(りゅうきゅうかすり)

琉球絣

琉球絣沖縄県の南風原地区が産地の織物です。

もともと琉球絣の名は沖縄で作られる絣全般を指していたため、宮古上布や芭蕉布などもかつては琉球絣と呼ばれていましたが時代とともに別の名で呼ばれるようになりました。

南風原は琉球王府時代から絣の主産地として知られ、今現在では「琉球絣の里」と呼ばれています。

琉球絣の大きな特徴は多彩な幾何学模様で、その数は600種類にもおよぶと言われており、琉球王府時代から伝わる「御絵図帳」を元に職人が現代風にアレンジしたものです。

色は紺色を主体としたものが多く元は木綿が使われていましたが、昭和の後半ごろからは絹を用いいる事が多くなっています。

芭蕉布(ばしょうふ)

芭蕉布

芭蕉布沖縄県奄美群島が産地の布織物で、別名「蕉紗」とも呼ばれます。

多年草のイトバショウを使って織られるためこの名が付きました。

薄く張りのある肌触りと通気性の良さから風土に合わせ、夏用の着物、蚊帳、座布団など様々な用途に用いられています。

琉球王国が管理する大規模な芭蕉園で栽培され、古くは13世紀ごろから織られていたと考えられており、沖縄で織られる織物の中でも一番古いものであると言われています。

奄美大島から与那国島まで至るところで織られ、江戸時代には全国に広まりました。

現在、「芭蕉布の里」として知られる大宜味村(おおぎみそんむら)の喜如嘉(きじょか)を中心に生産されており、伝統技術を守るための活動が行われています。

現在では大宜味村(おおぎみそん)の喜如嘉(きじょか)で主に作られています。

与那国織(よなぐにおり)

与那国織

与那国織沖縄県の与那国島が産地の織物です。

沖縄らしさを感じる鮮やかな暖色系と幾何学模様が特徴で、古くは自家用や首里王府への貢物として献上されていました。

幾何学模様で花を表現する「与那国花織」

4枚の布をあせて作る「与那国ドゥタティ」※ドゥタティは4枚仕立てという意味

綿や麻地に草木染め、泥染めをした糸を織り込んでいく「与那国士ダディ」

ミンサー織りと同じ細帯「与那国カガンヌブー」

与那国織りはこれら4つの総称です。

数種類の織物がありますが、格子縞の中に小さな花模様を表現した、絹の与那国花織がよく着物に用いられます。

はっきりとした起源は明らかではありませんが、15世紀頃から生産されてきたといわれています。

第二次世界大戦の影響により一度は生産が途絶えてしまいましたが、1979年に与那国町伝統工芸館が設立されたのを機に復活を果たしました。

読谷山花織(よみたんざんはなおり)

読谷山花織

読谷山花織沖縄円読谷村が産地の織物です。

読谷山ミンサー、グーシ花織とも呼ばれ、花織の名の通り「ジンバナ(銭花)」「オージバナ(扇花)」「カジマバーヤナ(風車花)」と呼ばれる花を模した紋柄が特徴です。

厚手で暖色を中心とした独特の色合いから南方から伝わったと考えられていますが、その起源ははっきりとはしていません。

主に首里の上流階級や士族しか着用が許されていなかった他、朝鮮への贈り物として使われていた記録が残っているなど、上等な貢物として扱われていた事がわかっています。

琉球王国が薩摩藩に侵攻されて後は貢物として薩摩藩に納められるようになりました。

一度は生産が途絶え「幻の花織」となってしまいましたが、1964年に織物の技術者の手によって復元され、現在は行わ権の指定無形文化財にも指定されています。

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